旅をすることの背景

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旅をすることの意味を考えようとすると
果てがないことに気づかされる。
宇宙論のようなものである。

もちろん、ここで言う「旅」とは、
われわれがやるような旅、
すなわち、世界という書物をたとえその1ページ、
1行でも読み解こうとする旅だから、
必然的に個人がベースの活動になる。

気の合う親しい仲間と出かけることはあるとしても、
旅の意味が問われるのは個人の領域において、である。

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このブログの読者の方々には言わずもがなのことであるが、
大量消費型のバスツアーや、
大勢で一斉に行動するイベントタイプのツアーなどは、
移動の様態に関わらず、個人の旅とは言い難い。

それで良い人はもちろんそれでいいのだ。
地域経済に利する面もあるし、経済効果を目的にするなら、
大勢が来てくれて大量に消費してくれるほうがいいに決まっている。

ただ、われわれが好むような旅はそれとあまり関係がないのだ。

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旅をするということは、
ごく当たり前の日常的世界の外側に行くということでもある。

日常的価値観の外側に行くという意味もある。

やや飛躍するが、小説や文学を読むのも同じことである。

その質や内容にもよるが、読書にはどこかしら、
インサイダーからアウトサイダーへ人を導く効果がある。

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旅はまた、人生の縮図でもある。

3次元的人生から生きて外に出ることは叶わぬので、
人は、旅というかたちで人生のモデリングを
行っていると考えることもできる。

始まりと終わりを見ようとするのである。

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旅、というキーワードが絡んでくると、
どうにも魂の奥にある何かが刺激されるような
気がして仕方がない。

もっと別のところから眺めてみたらどうだ、
と言われているような気分でもある。

旅をすることによって、
今自分がどこにいるのかが見えやすくなる。

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ありふれたそばも、
旅の途中、ホームにある駅そば店などで食べると
どこか意味が切り替わっている。

そういうわけで駅そばが好きなのかもしれない。

画像は、東海道線三島駅東海道線上りホームにて。


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ナマステ。ピース。