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zoom RSS 馬鹿者としての見識

<<   作成日時 : 2017/07/14 23:50   >>

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見識というものはふつう、
偉くなるために必要だと思われている。
だが、馬鹿者になるためにも、必要なのかもしれない。

馬鹿者は確信犯的でなければならぬ。

偉くなったつもりで馬鹿に見えるというのは、
馬鹿になることを最初から選んでいることとは違う。

     ●

私にとって自転車で旅をするなどということは、
最初から「選んで馬鹿になる」ことなのであって、
この感覚を共有できる連中とは話が合う。

別に押し付けるつもりはない(^ ^)。

自由意志の惑星だからね、ここは。

     ●

偉くなる、馬鹿になる、は道楽において
よく現れる追分ではあるが、
人間生活全体にも同様に露呈する。

哀しいかな、人は年齢を重ねると、
だんだん「偉くならなければ」という思い込みに
支配されることが多くなる。

しかしむしろそうすることで、
ボケちゃったりするのかもしれない。

馬鹿になると案外ボケないように見える。

     ●

ナマステ。ピース。アドナイ。










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