自転車文学研究室 CyclotourismeJP

アクセスカウンタ

zoom RSS 樹木について考えたこと

<<   作成日時 : 2017/07/18 23:50   >>

ナイス ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

昨日ぐらいだったか、はたと気付いたことがある。

樹木について、なのだ。

ふつうに地面から生えている木は、
別に毎日雨が降らなくてもそうそう枯れたりしない。

毎日水をやる必要はない。

だが、盆栽は違う。

毎日水をたっぷりくれてやらないと、
じきに枯れてしまう。

それだけでなく、
定期的な植え替えというものが必要らしい。

手間がかかるわけだ。

    ●

盆栽というものは基本的に鉢植えである。

そしてその鉢の深さは、
樹木の土から上の部分に比べてかなり浅い。

だから根が延びる範囲にもかなり制約があり、
また根が吸収できる水分や養分にも限界があろう。

    ●

もっとも、樹木というのは樹高が10mくらいあっても、
根が張る深さはほんの1〜数メートル足らずだそうだから、
極端に深いというわけではない。

盆栽の鉢の深さというのも、
まあそれほど不自然ではないのかもしれない。

ただし、自然の樹木が大地に
直接グラウンディングしていることの
エネルギー的な意味はかなり大きいだろう。

鉢をそのまま地面においておくと、
底の穴から根が伸びて鉢が動かせなくなることはよくある。

    ●

自然の樹木は、大地を共通基盤として
生態系を形成しており、樹木の地上部分は
よく人間の「(日常的)意識またはパーソナリティ」に喩えられ、
その地下部分は、「無意識」に喩えられる。

    ●

樹木の地上部分はそれぞれ独立した存在だが、
地下部分は、大地によってつながっており、
ユング的な心理学的視座では、
「集合的無意識」の層とも言えるだろう。

森の樹木それぞれは個体としては別だが、
大地というものを媒介して、
より大きな視点からは一体化しているとも言える。

老いて倒れた老木は再び土となり、
その土から次の世代の木が育つ。

分離できない部分があることは間違いない。

    ●

盆栽を芸術と見るなら、それは、
自然の中から取り出され、
人によって枝ぶり等が調整された象徴的植物存在とも言える。

    ●

ただしそれは、
大地やほかの樹木から切り離されたものであり、
放っておいたらたちまち枯れてしまう。

それはなんだか現代人のようでもある。

根源的なもの、ルーツ的なものを見失ってしまったために、
毎日の水遣りとか、肥料とか、
いろいろなケアが必要となっている。

     ●

盆栽道楽を批判しているつもりはない。

ただそれは、「あるがままの自然」であることで
ないことだけは確かだ。

     ●

盆栽にはもちろん自然を超えた美だってある。

自然の模型化という意味もある。

     ●

近代人は多く、盆栽のような存在として生きてきた。

より個体的に生きてきて、
見映えがよくなった反面、根源とつながる術を失った。

それがいつまでも続くようには私には思えない。

     ●

確かなのは、私はランダムに樹木が生えているキャンプ場が好きだ、
ということだけだ(^ ^)。

     ●

ナマステ。ピース。アドナイ。







テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 3
ナイス ナイス ナイス
樹木について考えたこと 自転車文学研究室 CyclotourismeJP/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる