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zoom RSS 「引き出し」の勘違い

<<   作成日時 : 2017/04/23 14:05   >>

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多くの人は、
「引き出しが多いほど表現の幅が広がる」と考える。
それはおそらく、一面に過ぎない。

何か、誰かの心に届くような表現を得ようと思ったら、
「引き出しの数」に喩えられるような
情報量の大小にこだわっていてもほとんど埒があかないだろう。

     ●

何を見るかではなく、いかに見るか、なのだ。

表現者はその視線が問われるのであって、
対象物は誰の前にもある。

テーブルの上の静物のようなものが画題になるのは、
それをどう見るかという
魂の視線が問われているからである。

     ●

魂の視力とは、引き出しの中の情報のような量的問題ではなく、
質的な問題であり、
そこに表現者としての存在がかかっている。

それをどうやって見につけるかについての答えはなく、
それを求める人が自分で何とかするかないのだが、
求めたからと言って必ずしもすぐに得られるわけでもない。

そういう遠い旅でもある。

     ●

ナマステ。ピース。アドナイ。










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