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高校時代、非常にピアノの上手い同級生がいて、 周囲の音楽大学志望者からも一目置かれていたようだった。 彼はその後、某有名音大に進み、演奏家を志していると聞いた。 その彼と、大学生時代に、都内の地下鉄の駅の出口でばったりと会って、 しばらく喫茶店で話をした。当時私は、J.S.バッハの 『平均律クラビーア曲集』にかなり入れ込んでいて、 ときどき実家のピアノで練習したりしていたので 「なんとか40ぐらいまでに全曲弾けるようになりたいと思う」と、 かなり不遜なお馬鹿発言をしたところ、言下に「無理だ」と言われた。 いや、彼は失礼のない言い方で、冷静にそう言ったのである。 しかしこの曲集に関する当時の私の見方は、 ちゃんと評価してくれたようだった。 もちろんマスターは確かに無理だった。この曲集の、特にフーガの方は、 難易度から言っても完全に上級者クラスであって、 だいたい全曲レパートリーにできる人は第一線の演奏家でも稀なのである。 その後彼は、音大をきわめて優秀な成績で卒業し、 現在は大学で教鞭をとる傍ら、リサイタルも開く演奏家となった。 私はすでに40代後半となり、実際のところ、ミスタッチなしというレベルではなく、 音を間違えずに弾くというレベルでも、弾けるような曲はいまだにほとんどないのだが、 性懲りもなく、ときどき練習している。 正直に言うと、練習というより、譜読みをして、どんな音の配列になっているのか 確かめている、というのに近い。 それでも、そこに、この現世を完全に超えたような宇宙的音響があるのは、私程度にもわかる。 とても300年近く前に創られた音楽とは思えない。奇跡的です。 各曲は比較的短いし、調性を巡る配列となっているので、 演奏会で取り上げられることもあまりないけれど、 ジャズミュージシャンがしばしば旋律線を借用するあたり、 時代を超えた普遍性があるのじゃないかと思う。ある部分、ジャンルも超えているんでしょうね。 自転車アニメ、『ベルヴィル・ランデブー』でも、第一巻のハ短調のプレリュードが使われている。 第一巻にはそういう使い方をされる有名な曲もけっこう多く、 なぜこの時代にこの音が出てくるのかというような部分まであったりしますが、 第二巻はひたすら音楽的な深度へダイブしてゆくような印象です。 まあ素人が聞いたようなことを言って楽曲分析しても仕方がないので、このくらいにしときますけど、 最初に聞いてからほぼ28年が経ち、それでもなおかつ飽きるところなどなく、 いまだに聴き直したり、譜読みしたりするたびに新たな発見があるというのは、 人間が作ったものとは思えない。一生をかけても、この曲集の理解には足りないでしょう。 人も世も日々変わる。生きているものは動き続け、変化する。 しかし不滅のものは変化しない。時間と違うベクトルの中に生成している。 私もすっかりオッサンになってしまったが、この曲集と向かい合うと、年齢のことなど、どうでも良くなる。 自分の生きてきた時間さえ、この音楽は飲み込んでしまっている。 自分の記憶、あるいは他者の記憶、宇宙の記憶。そういうものが音響化されている気さえする。 |
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| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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中学生の時、吹奏楽部にガラにも無く属し、楽器をプレイすることには全く向いていないと自覚し、その後演奏家にも作曲家にも自分とは全然違う次元の方々だと認識しております。もっぱら聞くことに専念いたしております。ヨハン・セバスティアン・バッハ様はリッチー・ブラックモア様に導かれて聞くようになりました。チェンバロ曲集あたりを聞いておりまする。まったくもって今の時代でも聞くことが出来るというのは凄いことです。バッハ様が生きていたことの間違いのない証ですものね。 |
たぬきさん 2008/06/19 19:08 |
おお。私もブラバンでしたよ。 |
白鳥和也 2008/06/19 21:14 |
古典というと何かとっつきにくさを感じてしまいますが、時の流れだけで、古い時代のものだからというだけで、古典としてくくってしまうのは実に失礼だと思っています。人間の大好きな悪しきジャンル分けの一つなんでしょうけどね。愛好家にとっては、バッハ氏が過去の存在などではなく、現世にも生き続けているのでしょうから。通り過ぎていった時間の上に今がある。 |
たぬきさん 2008/06/23 10:05 |
個体発生は系統発生を繰り返す、とか。 |
白鳥和也 2008/06/23 11:35 |
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